初めまして
最初に迷い込んだ人が読む記事です。
このブログの使い方:
- 何かしらの備忘録に使います。読んだ本の感想とかを書いて、発展させていくのが目標です。
- GatsbyとGitを操作するのに使います。困ったことや解決したことがあれば、それも記事にするかもしれません。
- 学んだことについて書いていきます。備忘録と変わらないじゃん、ってツッコミが来そうですが、こちらは「人に教える」ということを意識して書こうと思います。頑張ります。
このブログはGatsbyで作られた静的ブログです。Wordpressや、はてなブログなどのものとは、ちょっと操作が違っているだけで、読んでいる人にとってはどうでもいいことなのでスルーしてくれて大丈夫です。
簡単なプログラミングの勉強として使っているので、更新頻度はまちまちですが、気軽に覗いてみてください。たまにいいことをいうかもしれません。気に入ってくれたら、下記のフォームからサブスクライブしてくれたら更新をメールにてお知らせいたします。サブスクっていっても、金は取らないので心配しないでくださいね。
簡単なテーマ
このブログでは、主に「ものの考え方や見方」についての話をしていこうと思っています。そういう内容は、哲学というジャンルで一般的には語られ、まるで必要でないものの代名詞として取り扱われることが日常茶飯事です。 これは哲学だけにあてはまるものではなく、文系と呼ばれるあらゆる学問において、そのような話が持ち出されています。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/3054 例えば、記事のような、文系不要論に対する反対意見は、文系不要論と同じくらいに関心をよぶことが多いです。確かに、哲学や芸術に関することを学んでも、私たちの生活に役立てることは難しそうです。そのため、記事中の反対意見を叫ぶ学者であっても、「今、無駄に見えるもの」という前提がなければ、一般人の私たちには、有効な説明ができないのでしょう。(もちろん、彼は役立て方を知っているでしょうが。)
でも、こういう時の説得として最も意味があるものとは、「そもそも人間の生活ってパンだけで成り立っているわけじゃないよね」という言葉だけで十分なのではないかなとも思うのです。映画を見て涙する、会ったこともないような誰かの言葉に共感を覚える。共感で強く惹かれた人々が、規模の大小を問わずコミュニティを作る。
これらの現象が、私たちの目の前に現れている。社会を動かすきっかけになりうる。そこに、哲学の、文系学問を学ぶきっかけはあるのではないでしょうか。
AIをはじめとする諸分野の発達によって、社会構造の変化は免れ得ないとされている現代では、特にそうだと思います。
時代の過渡期において、あらゆる物事が忙しなく変革していくのは、社会の常であります。産業革命が起きた時には、手工業者の多くは職を失う羽目になりました。そして、彼らは自身の生活を守るための手段として、ラッダイド運動を起こしました。
以前の暴動が現代でそのまま再現されることは、ほとんどないだろうと思っています。これだけコンピュータが私たちの社会に介入しているのですから、それらに職を奪われるかもしれないことを危惧した人たちが、徒党を組んで物理的破壊を試みるのは遅すぎます。
しかしながら、当時の手工業者が抱えていた不安や憤りのようなものを、同じような立場の人が同じように持つことは、その可能性として全く低くないことは想像に難くありません。機械に向けられていた矛先が、自身へ“世界に対する無力感”として向けられる、もしくは”何不自由なく生きている(ように見える)へのやっかみ”として他者へ向けられるのでしょう。
そういった事態に対して、役立たずのレッテルを貼られた、哲学のような学問が活躍します。これらの基本である「観察する」という営みが、浮き足立った私たちの心に平静と謙虚さを与えてくれるのです。
というような、ちょっといい風に聞こえる言葉を皮切りとして、このブログは始まっていきます。
世の中に良いことってのは、めんどくさいんだよ。-宮崎駿
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